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那覇地方裁判所石垣支部 昭和62年(ワ)24号 判決

原告

大盛文雄

前盛次郎

仲山忠篤

前盛泰夫

山川信吉

西原茂夫

右原告ら訴訟代理人弁護士

木梨芳繁

中島敬行

大森文彦

棚村重信

被告

三原共有者組合

右代表者組合長

仲大盛秀夫

右訴訟代理人弁護士

新里恵二

根本孔衛

主文

一  被告は、原告大盛文雄、同前盛次郎、同仲山忠篤、同前盛泰夫が、別紙物件目録記載の土地に対して、入会集団である被告の構成員として、共有の性質を有する入会権(持分権)を有することを確認する。

二  原告山川信吉、同西原茂夫の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、原告山川信吉、同西原茂夫と被告との間に生じた費用は、右原告両名の負担とし、その余の原告らと被告との間に生じた費用は、被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らが、別紙物件目録記載の土地に対して、入会集団である被告の構成員として、共有の性質を有する入会権(持分権)を有することを確認する。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告の本案前の申立

1  本件訴えを却下する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

三  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  本件入会地

明治三六年に入頭税制度が廃止され、地租条例が実施されたことに伴い、国有林野の村有地への払い下げが行われ、これに関連して真栄里部落にも、真栄里の字有地、部落共同所有財産として、別紙物件目録記載の土地(以下「本件入会地」という。)が確保され、以後、本件入会地は、真栄里に居住し生活する部落住民に、総有的に帰属し、これにより構成される入会集団のもとで共同の管理利用がなされてきた。

2  原告らの入会権(持分権)

(一) 原告大盛文雄(以下「原告大盛」という。)、同前盛次郎は、少なくとも終戦後間もなくして真栄里部落会の役員を歴任し、昭和三九年に部落会が事実上真栄里公民館に移行された後も、公民館長等の要職に就いて、本件入会地の維持管理に多大の貢献をし、昭和五二年一月の真栄里入会組合結成後も、右原告両名は、真栄里に継続的に居住し、入会集団構成員として認められ、その義務を果たし、本件入会地の利用に与ってきた入会権者である。

(二) 原告仲山忠篤(以下「原告仲山」という。)、同前盛泰夫は、昭和六〇年三月の真栄里入会組合臨時総会において、入会組合員としての新規加入が認められ、入会権者となった者である。

(三) 原告山川信吉(以下「原告山川」という。)は、妻が真栄里部落の出身で縁故があったところから、昭和四三年五月一五日より定住の意思を持って真栄里部落に移り住んで来た。当時の真栄里は、世帯数も漸次減少気味で転入者である原告山川一家も暖かく迎えられ、以後、公民館に所属し、部落の一員として部落の行事にも積極的に加わり、昭和四七年、四八年には、老人会の会長を勤めるなどして、部落にも多大な貢献をしてきたものである。当時の真栄里部落の入会集団は、真栄里公民館であり、原告山川は、入会集団構成員と認められ、その義務を果たし名実共に入会権者であった。

(四) 原告西原茂夫(以下「原告西原」という。)は、真栄里に特別の縁故があり、昭和三八年三月より定住の意思を持って真栄里部落に転入し、以後、公民館の建設から部落の行事、諸活動にも積極的に参加し、公民館の特別会計、産業部長などの役員も勤めてきた。そして、真栄里部落民として、部落の人たちからも歓迎して迎えられ、道路の拡張作業等の出役や義務も負担し、長年に渡り、本件入会地上に牛を繋留して飼養してきたものである。

3  被告

被告は、入会地の消滅を前提に、新たに権利者六〇名により部落共有地を各権利者の単独所有にすることを目的として昭和六〇年一二月二二日に設立された団体である。

4  被告との争い

被告は、昭和五二年一月結成以降、入会集団として、本件入会地の管理処分をおこなってきた真栄里入会組合の昭和六〇年三月一六日開催された同組合臨時総会における入会権消滅決議により、本件入会権は有効に消滅したと主張し、その後の入会権の存続を争い、また、原告山川、同西原に対しては、本件入会地について同原告らがその持分権を取得したことについて争っている。

5  しかし、右のような重大な決定をする総会であるのに、その召集通知は、総会開催の二日前に配布されたものであり、しかも、右召集通知には本件入会権を消滅させる決議をすることについては明記されておらず、かつ、右総会当日、入会組合員のうちで出席者は、六〇名中四一名に過ぎず、反対意見に対する組合員相互間での論議も十分にされないまま議決されたもので、また、組合員の固定化、入会権から通常の共有への移行、入会組合の解散の各決議をするにおいて、同組合が管理する入会財産の明細は明らかにされず、その財産の処理に関する取り決めも一切行われなかった。

6  よって、昭和六〇年三月一六日の真栄里入会組合臨時総会での入会権消滅決議は、入会権者全員の同意を得ておらず、入会財産についての取り決めもなされなかったから、無効であって、入会権は有効に存続しており、原告らは、右真栄里入会組合と同一性を有する被告に対し、原告らが、本件入会地に対して、入会集団である被告の構成員として、共有の性質を有する入会権(持分権)を有することの確認を求める。

二  被告の本案前の主張

1  当事者能力

被告は、六〇名の共有持分権者が共有物の分割が終わるまでの間、組合という名称を使用して人的結合をなしたもので民法上の組合ではなく、権利能力なき社団に該当しない。

2  当事者適格

原告山川、同西原を除く原告四名は被告組合の構成員であり、本件は、被告組合員四名と五六名との争いであるから、原告らは、残りの五六名を相手として訴えを提起すべきであり、被告に被告適格はない。

三  被告の本案前の主張に対する原告の答弁

1  当事者能力

被告組合は、構成員六〇名により本件入会地を管理し、最終的には、これを単独所有に切り替えるために結成された団体であり、三原共有者組合規約により、組合の目的、組合員資格、組合員の権利義務、組合の機関、総会、理事会、組合長等の役員の職務及び権限、組合の財政等について規定されており、したがって、被告は、民訴法四六条の社団に該当し、当事者能力を有する。

2  当事者適格

被告は、真栄里入会組合とその組織、実体において、真栄里の本件入会地を管理支配する代表者の定めのある入会集団であり、本件入会権確認訴訟について被告適格を有する。

四  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実のうち、原告大盛、同前盛次郎、同仲山、同前盛泰夫が昭和六〇年三月一六日当時真栄里入会組合の組合員であったこと及び原告山川、同西原の経歴、真栄里部落との関わりについては認めるが、右両名が入会権者であるとの主張は否認する。

3  同3、同4の事実は認める。

4  同5の事実のうち、総会開催の二日前に通知が配布されたこと、右召集通知に本件入会権を消滅させる決議をすることについては明記されていないこと、右総会当日、入会組合員のうちで現実に出席した者は、六〇名中四一名であることは認め、その余の事実は否認する。右臨時総会には、委任者を含め、四八名が出席しており、残りの一二名は、後日、前記決議をいずれも追認しているのであるから、全員一致でないという瑕疵は治癒されている。即ち右一二名は、昭和六〇年一二月二二日の三原共有者組合結成総会に出席し、同規約制定に同意し、規約全文及び規約附則をも承認し、六〇名による共有登記に協力したのであるから、その時点で前記決議を追認したものである。また、入会財産の処分については、従来の総有を六〇名の共有に変更をするという取り決めがされている。

第三  証拠〈省略〉

理由

一本案前の抗弁について

1  当事者能力について

一般に法人ではない社団にして、代表者又は管理人の定めのあるものは、当事者能力を有しており(民訴法四六条)、組合という名称であっても、代表者の定めがあり、その規約により、組合の目的、組合員の資格の得喪、組合の機関、財産など団体としての主要な点が定められており、個々の組合員個人から独立して社会的にその存在が団体として認知される程度のものであれば、法人格のない社団として当事者能力を有すると解すべきところ、職権調査の結果によれば、被告は、独自の規約である三原共有者組合規約を持ち、同規約において、組合長が組合を代表する旨定めているほか、組合の目的、組合員の範囲、その権利義務、業務、機関、機関である総会、理事会などの召集時期、方法、決議事項、組合長及び副組合長の職務及び権限、組合の財政など、団体としての主要な点が網羅的に定められており、個々の組合員から独立した独自の社会的存在と認めることができ、前記権利能力のない社団に該当すると言うべきであり、被告に当事者能力を認めることができる。

2  当事者適格について

原告山川、同西原は、本件入会地について元入会権者として共有持分権を有していた者の団体であるとする被告に対し、なお入会権は消滅していないことを前提に、被告を入会団体であるとして、当該入会団体の構成員であることの確認を求めるものであって、被告は、団体として、右原告らが入会権を有することを争っているのであり、本件紛争は、もっぱら入会権者の範囲及び入会権の消滅の有無に関し、これを相争う原告両名と被告との間に存在するということができ、したがって、被告は、本件確認請求の被告適格を有していると解すべきである。また、その余の原告ら四名は、被告の構成員ではあるものの、右同様、入会権は消滅しておらず、被告をなお入会団体であるとして、右原告らがその構成員であるとの確認を求めるものであって、本件紛争は、もっぱら入会権の消滅の有無に関し、これを争う右原告四名とその消滅を前提として結成されたと主張する被告との間に存在するということができ、したがって、被告は、右原告らとの関係においても被告適格を有しているというべきである。

二争いのない事実及び争点

本件入会地が真栄里部落住民に総有的に帰属する共有の性質を有する入会権として明治時代から存続してきたこと、原告大盛、同前盛次郎、同仲山、同前盛忠篤が入会集団の構成員であったこと及び現在被告の構成員であること、原告山川、同西原は、戦後真栄里部落に移り住み、以後、真栄里部落において、公民館の役職に就くなどしてきたこと、真栄里入会組合が入会集団として昭和六〇年三月一六日開催の臨時総会において、入会権を消滅させ、これを組合員六〇名の共有に移行させる決議を行ったこと、右総会の開催に当たり、召集通知は二日前に配布されたこと、入会権の消滅自体は議題とはされていなかったこと、右総会に現実に出席したのが四一名であったことは、いずれも当事者間に争いはない。

本件の争点は、右臨時総会の決議により、入会権が消滅したか否か、原告山川、同西原が入会集団の一員として入会権を有するか否かにあるので、以下順次検討する。

三入会権消滅決議の効力について

〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。

1  真栄里部落民は、本件入会地において、採草、牛馬の放牧、繋留、用材及び薪炭材の採取、造林等の入会稼ぎをし、共同で本件入会原野の管理利用を継続してきたが、本件入会地は、岩盤が多く、土壌も劣悪であるところから、耕作には適さず、むしろ、牛、馬、水牛を繋留し、肉牛、繁殖牛、山羊、豚等の飼育、飼料の採取に利用されてきたこと、牛の繋留地としての利用は、牧草の成育が良くないので立木に牛を繋ぎ、その付近の草を喰べさせるという形であり、繋留できるのは、真栄里部落住民、すなわち入会権者の所有する牛馬であればよく、かつては一頭当たりいくらで繋留料を部落に納めなければならなかったが、昭和四五年ころから、かなりの借地料収入が入ってくるようになってから無償になったこと、現在でも牛の繋留地としての利用は行われていること

2  現在、本件入会地の半分ほどは、入会集団から第三者に賃貸され、主たる借地契約の相手方である日誠総業株式会社は、ホテル経営等の観光開発事業を営んでおり、本件借地上にもゴルフ場等の観光レジャー施設を建設し、その事業に当たっているほか、本件入会地上には、借地契約に基づき、八重山ブロック工場、警察官宿舎、八重山商工高等学校等の施設もあり、これらの契約利用地からの借地料収入は、昭和五二年一月二〇日、真栄里入会組合が設立されるまでは、部落会すなわち公民館予算の特別会計に組み入れられ、部落内道路の整備、下水溝の改修、公民館活動そのほか住民生活全体に必要な共益費等に充当されてきたこと

3  真栄里部落においては、入会権者としての資格は、慣習により、入会集団の総手的意思により入会集団の構成員であると認められることによって取得され、入会集団から離脱することによって喪失したのであり、本件入会地に権利を有する共有入会権者は、原則として、明治以来真栄里に一戸を構える本家である世帯主により構成されているほか、分家した者、相当期間部落外に出てその後帰来した者、外からの移住者であっても、部落民としての義務を果たし、部落の仲間として承認された者も入会権者として認められていたこと、中尾英俊西南学院大学教授らは、農林省の依頼による沖縄の入会地の調査の一環として、昭和四七年一二月一九日、真栄里公民館において、本件入会地について、聞き取りによる方法を中心として実地調査を行ったが、その際、県や市の職員によって集められた真栄里部落の住民たちは、入会という語については不分明であったものの、移住者であっても永住の意思を持って、真栄里に一戸を構え、部落の勤めを果たし、継続して三箇月以上居住したものは、入会権者となる趣旨の言動をしていたこと

4  真栄里部落には、古くから、部落住民によって組織される部落会が設置され、一定の規約のもとに活動を重ねていたが、大正六年には、総代制がしかれ、部落会を統括する総代、評議会員らを役員として、部落会が運営されるようになり、その後、昭和四年から昭和一三年まで会長、副会長、評議員、幹事らとなり、同一四年から総代、副総代が会長、副会長と重複しながら出現し、同一七年から部落会長が筆頭に出てくるようになったこと、同一九年から総代は消え、部落会長、副会長、総務部長を中心とする構成となるが、昭和二四年から再び会長と総代とが併存し、昭和二九年から会長、副会長で安定するようになったこと、本件入会地の賃貸料収入を取り扱う特別会計は、昭和三六年から始まったが、昭和五二年に入会組合に本件入会地に関する会計処理が引き継がれることにより終了したこと、部落の最高議決機関としては、部落総会があり、ここでは役員の選出、予算、決算の承認、入会地の利用方法の決定、各種部落行事の決定等の重要事項が審議され、処理されてきたこと

5  昭和三九年には、真栄里公民館が設立され、従来の部落会は公民館に組織替えをし、以後公民館が部落有地の管理、処分をめぐる諸問題の処理に当たることになり、これまで部落会を総括していた部落会長、副会長は、それぞれ公民館長、副館長となり、十数名の役員が選出され、執行部を構成し、公民館は、旧来の部落会をそのまま引き継いだこと

6  旧来からの部落民である部落幹部は、外部からの移住者の増加に伴い、本件入会地の保全管理の在り方について議論をしてきたが、昭和五一年一一月一九日、真栄里公民館第一四回審議会に新里恵二弁護士を招き、その方法について講習を受け、その際、同弁護士から入会組合の規約の作成及び公民館とは別の入会組合の結成が必要であるとの助言を受け、規約の作成については、同弁護士が関与した忍草入会組合規約が参考として呈示され、同弁護士は真栄里の慣行を知らないので、慣行に応じてこれを修正するよう示唆を受けたこと、そして同年一二月二日、「真栄里共有財産の入会組合結成準備委員会」委員糸洲精安名義で、公民館の幹部及び歴代館長らを中心とした特定の人たちのみに対し、「仮称真栄里入会組合結成準備委員会」の召集通知を発出し、同月七日、真栄里公民館第一五回審議会において、右委員会を発足させ、その構成員を現審議委員、歴代公民館長その他二一名、委員長を山田善照、副委員長を仲大盛秀夫と決定し、新たに結成される「真栄里入会組合」の組合員として本件入会地の権利者となる者とならない者との線引きを開始し、昭和五二年一月一八日ころ、真栄里入会組合準備委員長名で、同組合結成総会の開催通知が五〇名ほどの者に限定して出され、同月二〇日、右総会を開催し、「真栄里入会組合」を結成し、「真栄里入会組合規約」を作成したこと、右規約は、組合員資格に関し農業専従者に限定する部分を削除した他は、忍草入会組合規約と極めて酷似していること、また、真栄里入会組合結成に際し、公民館員として認められ、部落の勤めを果たし、定住の意思を持って戦後相当期間部落に居住して、世帯主であった原告山川、同西原ら数名の者に対しては、この間の事情の説明もなく、右開催通知も発せられなかったこと

7  昭和五二年一月に結成された真栄里入会組合が、結成後、入会集団として、本件入会地の管理処分をおこなうことになり、同年二月一〇日、公民館長から入会組合長への入会財産の引継ぎが行われ、本件入会地を管理してきたが、その後、組合員の中に権利者を確定したいという要求が現れ、再び新里弁護士を招いて助言を受け、昭和六〇年三月九日、真栄里入会組合拡大総代会を開催し、具体的に権利者となるものの範囲を確定する作業を行ったこと、その際、出席した部落民の間でも誰が入会権者であるかは、必ずしも明らかではなく、むしろ誰を入会権者と認めるかという観点から議論がされ、一人認めると際限がなくなってしまうという政策的な配慮から権利者の範囲を限定した方がいい旨同弁護士から助言がなされたこと、そして同月一四日、真栄里入会組合幹部らは、臨時総会の召集を通知し、同月一六日午後八時から真栄里公民館において、同組合の臨時総会が開催されたこと、同日の臨時総会では、議題として、共有財産を組合員の共有とすること、組合員の範囲を固定化すること、新規加入者の持分を定めることの三点について運営方針を承認すること、また、新規加入者の報告と承認、規約の改正などが組合長から提案され、これまでの五一名の組合員のほかに、仲大盛吉幸の組合員資格を回復させ、新規加入者として、山田恵昌、加屋本實、前盛弘次、浦浜善久、山田修、山田正信、原告前盛泰夫、同仲山の八名が新たに組合員として承認され、引続き、右総会において、同日限りで組合員の加入を打ち切り入会権者は、右六〇名に限り、以後入会組合は解散して、入会地を右六〇名の共有とし、今後は共有者組合にするとの提案がされ、原告大盛の代わりに同人と連絡を取ることなく出席していた入会権者ではない大盛文之らの反対意見はあったが、総会出席者の多数の起立賛成によって、他に異議が述べられることなく、その旨の決議がされたこと、右六〇名のうち、総会の出席者は、四一名、委任状による者七名で、従前からの入会権者のうち三名、新たに入会権者と認められた者九名の合計一二名は、欠席しており、右決議後、これらの者から入会権の消滅について個別に同意を得る措置はとられなかったこと

8  その後、昭和六〇年一〇月二八日には、本件入会地のうち一部の土地を除いては、右六〇名の共有名義で登記され、組合幹部らは、前記臨時総会において、従来の入会組合は、共有名義を有する権利者達の新組合に脱皮し、入会権は消滅したものとして、新組合の設立の準備を進め、同年一二月二二日、新たに権利者六〇名だけで真栄里共有地(本件入会地)を管理し、最終的に本件土地を各権利者の単独所有に切り替えるために、被告である三原共有者組合を結成し、その際、新たに「三原共有者組合規約」が定められたが、組合長には、臨時総会当時の真栄里入会組合長である武内信雄が選出され、副組合長、理事らの役員も真栄里入会組合と同一で、その組合の主体である構成員も従来の入会権者らにより構成され、かつ、その管理所有する不動産も本件入会地であり、さらに本件入会地の管理、利用形態も従来と同じであったこと、右規約においては、従前の真栄里入会組合の権利義務をそのまま承継し、民法上の共有ではあるが、持分の譲渡禁止、分割請求の禁止などを定め、当面、本件入会地を分割するまで、従前の総有の場合と同様の方法でこれを保全していく内容が規定されたこと

ところで、現に共有の性質を有する入会地としてこれを利用する慣行が継続しているのにかかわらず、当該入会権を決議により消滅させ、特定の者の共有に移行させるためには、第一に、入会権者全員の合意が必要であると解されるところ、前記認定の事実によれば、本件入会地は、旧来の利用方としての採草や牛馬の繋留としてはあまり利用されなくなっているものの、第三者への賃貸により、その賃料収入を、特定の個人に配分せずに、部落のために使用するという方法で、総有的な利用を継続しており、その限度においては、なお入会権は、これを人為的に消滅させる行為がない限り、存続しているというべきである。そこで、入会権者全員の合意があったかについて検討すると、右合意は必ずしも同時にされる必要はなく、一部の者の合意を残りの者が追認することでも差し仕えないと解されるものの、実体の変更を何等伴わない形で観念的に入会権を消滅させる意思表示であるから、合意あるいは追認されたというためには、入会権の消滅についての法的な意味、すなわち、他に特別に決議がない限り、通常の共有になれば、家の物ではなく戸主名義人の個人財産となり、同じ家で部落のために労力を提供してきた者には帰属しないこと、その収益を部落のために提供する義務は消滅し、本件入会地からの収益を持分の割合に応じて個人で取得できるから、部落のために提供しない者が現れても、これを拘束できないこと、保存行為を除き、入会地の利用は、過半数の同意がないとできないことになること共有持分権を自由に譲渡できるようになり、その結果、過半数の者が譲渡し、譲受人らが、管理方法について異なる決議をすれば真栄里入会地の現況は大きく変化することも有り得、これを防止することはできなくなること、共有者の一人が現物分割を主張すれば、これに対応しなければならなくなること、その後の共有者組合に加入するか否かは全く個人の自由であることなど総有との基本的な違いについて十分に理解してなされるべきところ、本件臨時総会に出席し、趣旨説明を受け、合意をした者は、仮に全員としても四一名であるが、入会権が消滅するとどのように法律関係が変更されることになるのか、他に権利を有すると認められる者がいないのか、欠席した者が同意しなければこの決議も無効となることなどについて十分に意見交換がされた事実は認められずその後、組合の執行部に本当に消滅したのかという質問が出されたり、組合長から自然消滅したという発言が出されたりしていることからは、基本的な事柄についても、なお、理解しないまま、決議に同意した者の存在が窺われ、また、通常の共有に変更されたといっても、その後被告の三原共有者組合規約によって総有に近い形で変動がないよう配慮されてはいるが、それは消滅決議後相当期間が経過してからであり、しかも、脱退に関する規定や規約による制約に違反した場合の制裁は規定されておらず、有名無実であり、新たに持分権を取得した者は、組合に加入しなければならないとするが(第三条)、これが第三者を拘束し得ないことは論をまたないところであり、そうだとすれば、この規約を承認したことをもって、入会権の消滅について十分に理解して合意をし、あるいは、追認したということはできず、むしろ、反対に、この規約内容からすると、共有者らがこれに拘束力があると考えていたとすれば、かえって総有と認識される内容のものであり、更に、共有者全員の登記への変更が単なる委任の解除で、本来の入会権者の名義にする場合にも行われる(むしろ共有になれば、委任の解除という理屈にはならない)ことを考えると、右登記に応じたことをもって入会権の消滅を追認したと言うことはできずこれらの諸点を併せ考えると、仮に本件入会権者を被告の主張する六〇名に限るとしても、未だ本件入会地において入会権が消滅したと認めるには、なお疑問があると言わねばならない。

第二に、入会権を決議により消滅させるには、その入会財産の処分方法について決議しなければならないかについて検討するともし、入会慣行が現に存在しているのに、単なる入会権の消滅決議だけが行われると、今後その入会慣行がどのように変更されるのか明らかでなく、また、通常の共有に移行するとしても、従前の入会慣行のどの部分を継承し、どの部分を継承しないかが判然としないことになることを考えると、最低限そうした問題が生じないように決議後の財産の帰属、利用等について併せ定めることが必要であると解すべきところ、本件入会地の消滅を決議するに当たり、これを通常の共有に移行させる旨の決議はあったものの、それ以上に具体的な決定はなかったことが認められる。もっとも被告の三原共有者組合規約附則には、今後も消滅決議当時の真栄里入会組合が有していた権利義務がそのまま、その性質に反しない限り、被告に承継される旨を明記しており、これらを一体として見れば、今後入会財産がどのように帰属し、また利用されるのかが定まるのであるから、入会財産の処分方法について、追加的に決議がされたと見ることも不可能ではないものの、その実質は入会慣行により形成されてきた法律関係がそのまま継続することを内容とするものであり、被告の法律的地位は、入会集団としての真栄里入会組合と基本的には変わっておらず、むしろ、入会地としての利用を継続する中で、その処分方法を決定することを今後の目的として被告が結成されたと見られるのであり、これをもって共有へ移行後の入会財産の処分方法が定められたとみることは困難であり、この点からも、入会権が決議により消滅したと解することには疑問がある。

第三に、共有の性質を有する入会地においては、入会地としての利用が継続される限り、その慣習に従い、入会部落から離脱し入会地についての義務を履行できなくなれば、その半面として、入会地についての使用収益権も消滅すると解されるが、入会地としての利用を継続しながら、その入会権を合意により消滅させ、これを通常の共有に移行させる場合には、入会権消滅後の共有持分権者の範囲は、当然に右入会地としての利用を継続させる場合における慣習によって決定されるものではなく、その慣習から入会地としての利用が終了する際には部落民としての資格を失っていても(例えば、違反行為により一時的に資格を奪われている者部落から出てはいるがいずれは帰来し部落民となることが予定されている者)、これを個人財産に切り替える際には、当然に権利を主張する資格があると合理的に推認される者(家)を含むと解すべきであり、仮にその慣習から入会権消滅後の共有持分権者となる者を推認できないとしても、少なくとも将来部落に戻れば入会権者となることが慣習上期待できる場合には、当該期待権が慣習法上存在すると言うことができ、右の期待権は法的保護に値するというべきである。すなわち、通常入会慣行には、入会権を人為的に消滅させることは予定されておらず、本来入会権者であっても、入会地から離れれば、入会地に対する義務の履行及びその利用ができなくなる結果として入会権を失い、戻れば、可能になるので入会権を回復するという慣行の背景には、本来は権利者であるという認識が存在すると解されるのであり、そうだとすれば共有の性質を有する入会権を合意により消滅させるには、そうした本来的な権利者に持分の取得を主張する機会を与えなくともよいと解される入会慣行がある場合は別として、原則とし、入会権を回復する慣行上の期待権が存在すると言うべきであり、右の期待権を有する者にその機会を全く与えずに共有権者の範囲を限定して入会権を消滅させることはできないというべきである。そこで、本件についてこれを見ると、本件入会地については、一時的に部落外に出ており、戻ってくれば、慣行により当然に入会権者となることを期待できた者が存在していたこと、真栄里入会組合規約においては、父祖伝来の本件入会地を社会的事態の変化に遭遇しても総組合員の責任においてこれを保全し、組合員総体の永遠の生存と繁栄の基礎として確保するとされていたのであるから、将来、この父祖伝来の地に戻り、入会権を再取得することが期待されるとともに、本件入会地が消滅させられることについては予測できない状況にあったこと、本件入会地については、その使用収益の大半を賃貸借による賃料収入に依存しており、旧来の野鼠退治などの役務の提供は、今日では県などの機関に委ねられてきており、義務の履行をしていないという点は、部落内の者と決定的な差異はないこと、また、入会権者として認められている者の中には、入会地に牛馬を繋留するなどして現実に利用していない者もあること、前記拡大総代会においては、本来の権利者であるが当時部落外に出ている者について、これを権利者とするかについて検討され、そうした期待権を有する者の存在を十分認識していた(ただし部落外に出て一〇年以内の者で帰来し権利を主張すると推測された者については、あまり認識されていなかったようである)のにもかかわらず、これらも入会権者とすれば、際限がなくなり線引きが困難となることを理由として、何等これらの者に権利主張の機会を与えることなく、共有権者の範囲を将来に渡っても六〇名に限定したことが認められる。これらを総合すると、これら期待権を有する者が当然に入会権者とはならないとしても、これらの者に何等権利主張の機会を与えることなく、入会権を消滅させ、将来その共有権者となる方途を完全に閉ざす決議は、手続的に瑕疵のあるものというべきである。

以上によれば、本件入会権消滅決議は、形式的には行われているものの、入会権者全員の実質的な合意及び追認、通常の共有のもとでの財産の管理処分方法の決定、慣行上の期待権を有する者に対する手続的な保障について、いずれもその存在に大きな疑問があり、これらを総合すると、本件入会権消滅決議の瑕疵は、実体的にも手続的にも軽微であるとは言えず、結論において、その効力を認めることはできないというべきである。

そうすると、本件入会地は、依然として右消滅決議当時の入会権者集団の総有に属し、その入会権者集団で組織する組合の管理するものと認めることができ、そして被告である三原共有者組合は、結成当時、その組合長、副組合長、理事らの役員も入会集団である真栄里入会組合と同一であり、その組合の主体である構成員も従来の入会権者らにより構成され、かつ、その管理所有する不動産も本件入会地にほかならず、さらに本件入会地の管理、利用形態も従来と全く異なるものではなく、入会組合の有する権利義務をそのまま承継していることを併せ考えると、真栄里入会組合と被告とは、実体は同一のものであって、被告は、入会集団としての実体を依然として維持しているといわねばならず、したがって、少なくとも被告組合員であることに争いのない原告ちは、右真栄里入会組合と同一性を有する被告に対し、原告らが、別紙物件目録記載の土地に対して、入会集団である被告の構成員として、共有の性質を有する入会権(持分権)を有することの確認を求めることができると解すべきである。

四原告山川、同西原の入会権(持分権)について

〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。

1  原告山川は、石垣市字崎枝の出身で、明治三七年九月三〇日生まれであり、登野城小学校を卒業後、東京で薬商の見習いなどをし、その後、台湾に渡り、妻ヨシと結婚し、終戦後、石垣に戻り、昭和二一年から三年ほどの間真栄里にいるヨシの兄のもとに身を寄せ、小作をしていたが、その後、八重山保健所開南出張所に勤務し、昭和四三年に退職し、再び真栄里に戻り、ヨシの夫である前盛次郎の土地を借りて家を建てて住み、以降真栄里に居住していること、その間、昭和二二年及び同二三年に真栄里部落会の評議員、昭和四六年から同四八年まで真栄里老人クラブの会長、同五五年及び五六年に同副会長を勤め、また、牛馬の繋留はしていなかったものの、本件入会地から薪を取り、豊年祭、公民館の清掃や鼠駆除等の共同作業には参加をしていたこと、真栄里入会組合結成の際、原告山川に何等の通知もなかったが、その後、細工敏雄らから原告山川も組合員になれると聞いたが、他部落の出身であるため遠慮をし、自己を組合員にするよう求めたことはなかったこと

2  原告西原は、竹富町鳩間の出身で、昭和一三年一〇月二九日生まれであり、鳩間中学校を卒業し、農業と漁業に従事していたが、昭和三三年に石垣に渡り、同三五年平得出身の妻セツと結婚し、平得部落に居住し、同三七年真栄里に移り住んだこと、そのころ原告西原は、平得にある畑を耕す一方、三ないし四頭の牛馬を飼い、主として同原告の父が存命中に本件入会地で繋留していたが、当時だれでも繋留することはでき、繋留料は部落に支払っていたこと、昭和三九年公民館ができてから公民館員となり、昭和四〇年に伝令、同五二年に特別会計、同五三年保健体育部長、同五四年産業部長、同五六年保健体育部長などを歴任し、豊年祭、アンガマ祭などの行事にも参加してきたこと、伝令の仕事は、繋留料の徴収などで、その後は特別会計まで公民館の役職に就くことはなく、特別会計の仕事も特にはなく、入会財産を公民館の特別会計から入会組合に移す際も、立ち会っただけで何もしなかったこと、真栄里入会組合結成の際、原告西原に何等の通知もなかったこと、これに対し、同原告は法律の専門家が検討して行ったと聞いたので異議を述べなかったが、その後、公民館員で、義務を果していれば、入会組合員になれると聞いたので、本件訴えに及んだこと

ところで、原告山川、同西原が、入会権者を限定する決議がされる以前に入会権を取得していたかについては、当時、どのような者を入会権者とする慣行が存在していたかについて検討をする必要があるところ、前記認定の事実及び前掲各証拠並びに弁論の全趣旨によれば、真栄里入会組合規約は、忍草入会組合規約と極めて似ており、また、新里弁護士に右規約を参考として示され、真栄里入会組合規約が作成されるまでの間に入会慣行について部落民の認識が一致しているかについて確認する作業が行われた形跡はなく、その間僅か一箇月の期間しかなかったことを併せ考えると、これをもって直ちに本件入会地の慣行を明文化したものと認めることは困難である。他方、原告が主張するように、現在も入会権が存続し、字真栄里に定住の意思を持って一戸を構え、継続して三箇月以上居住し、部落民として一定の義務を果たせば、本件入会地の共有権者になることができると言えるかについて見ると、そのうち実質的な判断を要しない客観的な基準としては、一戸を構えて継続して三箇月以上居住するということしかなく、真栄里入会組合が結成された昭和五一年当時、石垣市の調査によれば、字真栄里の戸数は、一三八戸であり、その多くは右の基準に該当すると考えられ、そうすると相当多数の者が一応はこれに含まれる結果となり、果して共有の性質を有する入会権で、かつ、人口の変動が大きくなりつつある状況のもとで、右のような緩やかな基準で入会集団への加入を認めていたとは考えられず、そうだとすると、履行すべき義務の内容及び部落仲間として承認されるという実質的な基準に基づきこれを限定していたものと解されることになるが、真栄里部落の部落会ないし公民館の詳細な議事経過を記載した「真栄里の歩み」には、右基準や実例についてほとんど議題とされたことはなく、前記中尾教授の調査において入会権者として認められるに足りる一定の義務の内容については必ずしも明らかにされているとはいえず、また、三箇月以上居住したものが永住の意思を有するか否か、有するとしてこれを部落仲間として承認してよいかについて、誰がどのような方法で認定するのかも明らかでない。そして、右調査を受けた者が正確に調査者に対し情報を提供するためには、共有の性質を有する入会権であるから、単に入会地としての利用ができる者というだけではなく、地盤所有権を分有し、これが解体した場合は、同等の持分権を取得するという前提で、入会権者の一員となる者という理解が必要であるが、果して被調査者にそこまでの認識があったのかは疑問であることも併せ考えると、前記調査結果のみから直ちに右慣行の存在を認定することも困難であると言わねばならない。即ち、その当時公民館長として調査を受けたと思われる原告大盛は、外来者も一定の要件で入会仲間となるとの認識を有していたように思われるが、前記拡大総代会の議事録によれば、同原告は戦後真栄里に移住してきた者を入会権者から排除することについては、何等の異議も述べておらず、果して正確な情報を調査者に伝達したのかについて疑問を抱かざるを得ない。そうだとすると、果して定住あるいは永住の意思をもって三箇月以上引続き居住するということが慣行上明らかな入会権者となるための客観的基準であるという点においても、本件証拠関係によれば、未だこれを認めることは困難である。ただ、少なくとも、昭和四七年ないし五一年当時において、入会権者として認められるものは、前記認定のとおり、戦前から一戸を構えていた者だけではなく、その後に分家し一戸を構えた者、相当期間部落外に出てその後帰来した者、部落外からの移住者であっても、部落民としての義務を果たし、部落の仲間として承認された者も含まれていたこと、また、戦前から代々真栄里部落に一戸を構えてきた者を除いては、客観的要件のみで、当然に入会権者となるのではなく、入会集団によって、仲間として認められることが必要であるという点は、これを認めることができ、また、当事者間にも争いはない。そして以上の前提で、右原告両名が入会権を取得していたかについて検討すると、まず、原告山川は、戦後である昭和二一年から三年間ほど真栄里部落に居住したが、その後は、部落外に出ており、仮にその間、部落の役員をすることで、入会仲間として認められたと解しても、その後これを喪失したと認められ、更に、昭和四三年に真栄里に移り住んでからは、老人クラブを中心として、公民館における活動に従事してきたことは認められるものの、その間、本件入会地での牛馬を繋留するなどして、これを利用することもなかったのであるから、公民館員としての活動をもって直ちに入会部落に対する義務の履行と言えるかは定かではなく、鼠駆除のための野焼きに参加したなど本件入会地に貢献する若干の行為だけで、外来者である入会権者としての義務の履行と言えるかについても疑問がある。そして、入会仲間が入会権者と認めたものは、入会地の利用を認め、入会権者と認めなかった者については、その利用を認めなかったという場合には、現に入会地を制限されずに利用をしていたという事実から、入会仲間として承認されたという認定をすることも可能であるが、現に入会地を利用していない原告山川が入会集団により、いつどのような形で入会権者となることについて承認されたと見得るのか疑問がある。確かに昭和四三年当時は、公民館員と入会集団としての部落民とは、相当程度重複していたことは認められるものの、公民館は、真栄里に居住すれば、誰でもその会員になれるのであり、その目的も旧来からの部落民にかかわらず、会員相互の親和と協力のもとに、教養を高め、産業の振興と生活改善を図り、もって文化生活の高上(向上)と社会福祉の増進に寄与することにあり、本件入会地も公民館の財産という観念はなく、旧来からの部落有地として認識され、その賃貸料等の収益も特別会計として公民館の一般会計とは区別して取り扱われていたのであり、事実上、新たに公民館員となる外来者が少なかったために、公民館員となれば、部落仲間になったのと同様の扱いを受けていた側面が存するものの、これによって当然に入会仲間として承認されたと見ることはできず、また入会集団の大部分を占める戦前からの住民が部落内の女性でも部落外の男性と結婚した場合には、当然に部落仲間としてこれを受け入れていたという慣行を見いだすことはできないこと、原告大盛をはじめ、入会集団の大部分を占める組合員が戦後の居住者で公民館員となった者を仲間として認識していたかについては疑問があり、原告山川本人自身自分は外来者でもともとの部落民ではないという差異性についての自覚から権利を主張してこなかったことやその他前記認定の諸事情を総合考慮すると、原告山川が入会集団である真栄里入会組合によって入会権者の範囲が限定される以前に入会権者として承認されていたと認めることは、なお困難であると言わねばならない。

次に原告西原について見ると、主として同原告の父が本件入会地で牛馬を繋留するなどしていたことが認められるものの、真栄里入会組合が入会権者の範囲を限定する以前で、部落と公民館が同一性を有していたと認められる時期において、特に実質的な公民館の仕事に従事してきたとは認められず、その後、真栄里の住民数が増加し、旧来の部落と公民館とが分離してから公民館の役職につき真栄里のために貢献してきた事実は認められるものの、これをもって当然に部落民としての義務の履行とみることはできず、牛馬の繋留の事実を知りながら、入会集団の大部分を占める旧来からの部落民らが原告西原を入会権者と認めなかったこと、原告西原自身が自己に権利があると考える由縁は、牛馬の繋留の事実よりも公民館員としての活動による部落への寄与という点に存すること、前記原告山川について検討をした結果などを総合考慮すると、原告西原についても、未だ入会権者として入会仲間に承認されていたとまで認めることはできず、結局、右両原告は、被告に対し、入会権(持分権)を有することの確認を求めることはできないというべきである。

五結論

よって、原告大盛、同仲山、同前盛次郎、同前盛泰夫の本件確認請求は、理由があるから、これを認容し、原告山川、同西原の請求は理由がないので、これを棄却し、訴訟費用については、民事訴訟法八九条、九三条を適用して、原告山川、同西原と被告との間に生じた費用は、右原告両名の負担とし、その余の原告らと被告との間に生じた費用は、被告の負担とし、主文のとおり判決する。

(裁判官大塚正之)

別紙物件目録〈省略〉

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